突然だが、クイズを出す。
3² + 4² = 5²
つまり、9 + 16 = 25。これは正しい。こういう「二乗して足したら二乗になる」整数の組み合わせは、他にもたくさんある。5・12・13でもそうだし、8・15・17でもそうだ。探せばいくらでも出てくる。
では、こうしたらどうだろう。
二乗ではなく、三乗にする。
3³ + 4³ = 5³ は成り立つか?
計算してみよう。27 + 64 = 91。でも 5³ は 125 だ。合わない。
じゃあ他の数で試せばいい。2と3と4は? 1と5と6は? 何百万通り試しても、三乗では「ぴったり合う組み合わせ」が一つも見つからない。四乗でも、五乗でも、同じだ。
「そんな組み合わせは、この世に存在しない」——それがフェルマーの最終定理だ。
そしてこれを証明するのに、人類は358年かかった。
余白に書いたメモが、すべての始まり
1637年。フランスの法律家で、趣味で数学をやっていたピエール・ド・フェルマーという人物がいた。
彼はある日、古代ギリシャの数学書を読んでいた。そしてページの余白に、ペンでこんなことを書き残した。
「二乗以外では、こういう整数の組み合わせは絶対に存在しない。私はその証明を発見したが、余白が狭すぎて書けない」
これだけだ。証明は書かなかった。そして数年後、フェルマーは死んだ。
残されたのは「証明を見つけた」という主張だけ。確認する方法はない。
この一行のメモが、その後358年間にわたって世界中の数学者を苦しめることになる。
なんでこんなに難しいのか
「そんなに難しいか? コンピュータで全部の数を試せばいいじゃないか」
そう思う人もいるだろう。でも、それでは証明にならない。
なぜかというと、整数は無限にあるからだ。
1から1億まで試して見つからなくても、1億1番目にあるかもしれない。1兆まで試しても、1兆1番目にあるかもしれない。どこまで行っても「もしかしたらもっと先にある」という可能性を消せない。
だから「存在しない」を証明するには、数を数えるのではなく、論理で「なぜ存在できないのか」を示さなければならない。これが恐ろしく難しい。
世界中の天才が挑んで、全員負けた
フェルマーが死んでからの数百年間、この問題は数学者たちのあいだで「いつか誰かが解くだろう」と語り継がれた。
少しずつ進展はあった。
三乗の場合だけに絞れば証明できる、という数学者が現れた(1770年、オイラー)。五乗の場合も証明できた(1825年)。七乗も証明できた(1839年)。でも「すべての場合まとめて」は、誰にもできなかった。
19世紀には賞金がかけられた。それでも解けなかった。
20世紀になってコンピュータが登場した。「400万以下の指数では解なし」と確認できた。でも、それは証明じゃない。
問題は、この問題を解くための「数学の道具」がそもそもまだ存在していなかった、ということだ。包丁が発明される前に「どうすればこの野菜を薄切りにできるか」を考えているようなものだ。道具がなければ、どれだけ頭がよくても解けない。
一人の少年の話
1963年。イギリスに住む10歳の少年、アンドリュー・ワイルズは、近所の図書館でこの問題と出会った。
「問題の意味は小学生でもわかる。でも世界中の天才が何百年も解けていない。面白い。自分がやってみたい」
子供らしい、無謀な夢だ。
しかし彼はその夢を忘れなかった。大学で数学を学び、研究者になり、イギリスのケンブリッジ大学、アメリカのプリンストン大学で教授になった。そして1986年、ある発表を耳にする。
それが彼の人生を変えた。
鍵を握っていた、日本人の数学者たち
少し回り道をしよう。
1950年代、日本に谷山豊と志村五郎という二人の数学者がいた。彼らはある大胆な予想を発表した。
「楕円曲線とモジュラー形式は、完全に対応している」
楕円曲線? モジュラー形式? 聞いたことがない言葉ばかりだと思う。専門的すぎるので細かい説明は省くが、ポイントは「数学のまったく異なる二つの世界が、実は深いところでつながっている」という話だ。
当時の数学者の多くは「本当か?」と懐疑的だった。証明もなかった。でも、この予想は正しいだろうと信じる人たちもいた。
そして1986年。アメリカの数学者ケン・リベットが、衝撃的な発表をした。
「もし谷山・志村の予想が正しければ、フェルマーの最終定理も自動的に正しいことになる」
つまり、谷山・志村の予想を証明さえすれば、フェルマーもタダでついてくる。二つの問題が、実は一本の糸でつながっていたのだ。
この話を聞いたワイルズは、こう思った。「これは自分への呼びかけだ」
7年間、誰にも言わなかった
1986年から、ワイルズは研究を始めた。
驚くべきことに、彼はこれを完全に秘密にした。同僚にも、友人にも、最初は家族にも話さなかった。
なぜか。
「もし知られたら、他の数学者も狙いはじめる。競争になる。それにもし失敗したら、世界中に恥をさらすことになる」
そう考えたからだ。
7年間、表向きは別の研究をしているふりをしながら、こっそり証明を積み上げていった。使った数学の道具は、岩澤理論、コリヴァギン・フラッハ法、ガロア表現論……どれも専門家でなければ名前すら知らない、20世紀後半に生まれた最先端の数学だ。
フェルマーが17世紀に「証明を見つけた」と言っていたとしたら、それは別の(おそらく不完全な)方法だったはずだ。ワイルズが使った道具は、フェルマーの時代には存在しなかった。
歓喜から地獄へ
1993年6月、ワイルズはケンブリッジ大学で3日間の講演を行った。
最終日、彼は黒板に証明の最後の部分を書き、こう言った。「これで証明が完成しました」
会場が沸いた。世界中のニュースになった。ニューヨーク・タイムズが一面で報じた。ファッション誌まで取り上げた。「358年越しの解決」として、ワイルズは一夜にして時の人になった。
ところが。
数週間後、査読(他の数学者による確認作業)の過程で、証明に「穴」が見つかった。ある部分の論理が、実は成り立っていなかったのだ。
ワイルズは何も言わなかった。研究室に閉じこもった。
外の世界では「やっぱり証明は失敗だった」「ワイルズは間違えた」という報道が広がった。14ヶ月が過ぎた。
最後の突破
1994年9月19日。
ワイルズはその日も、穴を塞ごうと格闘していた。もう諦めて結果を公表しようとさえ思い始めていた。
そのとき、ふと気づいた。
「修正しようとしていた古い方法と、新しく試みていた方法を組み合わせたら、どうなるだろう」
やってみた。
合った。
証明の穴が、完全に塞がった。
後にワイルズはその瞬間をこう語っている。
「あまりにも美しかった。信じられなくて、20分間ただ眺め続けた。人生で最も重要な瞬間だった。その後、階下に降りて妻に言った。信じられないが、証明できた、と」
1995年、129ページの論文が学術誌に掲載された。世界中の数学者が確認した。完璧だった。
358年間の謎が、解けた。
結局、答えは何なのか
改めてシンプルに言おう。
問い: 三乗以上で「a^n + b^n = c^n」になる整数の組は存在するか?
答え: 存在しない。絶対に、永遠に、一組も。
これがフェルマーの最終定理の「答え」だ。
証明の仕組みをざっくり言うと、こういうことだ。まず「もし存在したとしたら」という仮定を置く。すると、そこから「ありえない性質を持つ曲線」が生まれることが示せる。でもワイルズが証明した谷山・志村の理論によれば、そんな曲線は存在してはいけない。矛盾する。だから最初の仮定が間違いだった——つまり解は存在しない、ということになる。
これを「背理法」という。「もし○○が正しいとしたら矛盾が生じる。だから○○は間違い」という証明の方法だ。
この問題が重要な理由
正直に言う。フェルマーの最終定理そのものは、日常生活に何の役にも立たない。
「三乗以上では整数の組み合わせが存在しない」と知っても、料理はうまくならないし、仕事も楽にならない。
でも、この問題が重要視される理由が二つある。
一つ目は副産物だ。ワイルズが証明のために発展させた楕円曲線の理論は、今では暗号技術の基礎になっている。あなたが今スマホでネットを見ているとき、銀行のアプリを使うとき、その通信を守っている暗号の仕組みに、この数学が使われている。問題そのものより、解くために作った道具のほうが役立った、という皮肉な話だ。
二つ目は、純粋な知的な美しさだ。「小学生でも問題が理解できる。でも世界最高の頭脳が358年かかった」——この落差が、何かを物語っている。宇宙には、人間がまだ気づいていないパターンやルールが無数に隠れていて、数学はそれを発見する言語だ、というロマンがある。
フェルマーの「証明」はどこへ
最後に、ずっと気になっていることを言っておく。
フェルマーは「驚くべき証明を見つけた」と書いた。でもワイルズの証明は20世紀の最先端数学を使った129ページの論文だ。17世紀のフェルマーに、そんなものが書けるはずがない。
では彼は何を「発見した」のか。
ほとんどの数学史家は「思い違い」だったと見ている。フェルマーは頭の中でサラッと考えて「これで証明できそうだ」と思ったが、実は穴があった。余白が狭くて書けなかったのではなく、ちゃんと考えたら証明できなかった。でも本人は気づかなかった——というのが有力な説だ。
真相はわからない。でも、それでいい。その謎があるからこそ、この話はただの「数学の問題が解けました」以上の味わいを持つ。
まとめ
- フェルマーの最終定理とは「三乗以上でピタゴラスの定理みたいな整数の組み合わせは存在しない」という話
- フェルマーが1637年に「証明した」と書いたが、証明を残さなかった
- 358年間、世界中の天才が挑んで解けなかった
- 1986年、谷山・志村予想との関係が発見されたことで解決の糸口が生まれた
- アンドリュー・ワイルズが7年間秘密で研究し、紆余曲折の末1995年に証明を完成させた
- 答えは「そんな整数の組み合わせは存在しない」
- 証明の過程で生まれた数学は、今のインターネット暗号技術に使われている
フェルマーが書いた余白のメモは「狭すぎて証明を書けなかった」と言っていた。358年後、人類が出した証明は129ページだった。
余白が狭かったのではない。その証明をするための数学が、まだ生まれていなかったのだ。
参考:サイモン・シン『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)/ Annals of Mathematics, 1995

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