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【誰かに話したくなる】科学のおもしろい逸話5選|天才たちの意外な素顔とは?

化学
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科学は難しいだけじゃない!驚き・笑い・ヒューマンドラマが詰まった逸話で、知的好奇心をくすぐろう。


【はじめに】科学の逸話は「最高のエンタメ」だ!

科学というと、「難解」「数字ばかり」「実験ばっかり」といったイメージを持つ人も多いでしょう。しかし、科学の歴史を紐解いていくと、時に笑えたり、涙が出たり、人間味あふれるエピソードが盛りだくさんなんです。

本記事では、数ある科学の逸話の中から、とびきり面白いものを5つ厳選してご紹介します。


第1選:「リンゴ」でひらめいた?ニュートンの万有引力の真相

あまりにも有名な“リンゴの木”の逸話。
でも実はこれ、ちょっとした誤解があるってご存じですか?

■【逸話の内容】

ニュートンが庭でのんびりしていたところ、リンゴが木から落ちてきた。それを見た彼は「すべての物体には引き合う力があるのでは?」と考え、万有引力の法則をひらめいた——というのが一般的なストーリー。

■【実は…?】

🧠 実際には「頭にリンゴが当たった」という描写はなし!

ニュートン自身が書き残した回想録によれば、「リンゴが落ちるのを見たことは事実」だそう。しかし、頭に当たったとはどこにも書いていません。

この「頭に当たる」描写は、のちの作家や伝記作者によって脚色された部分と考えられています。


📌 豆知識BOX:万有引力の方程式

質量 m1​ と m2​ の2つの物体間には、距離 rの二乗に反比例した引力 F が働く。



第2選:アインシュタインの「舌を出した写真」の裏話

世界一有名な「舌出しポートレート」——でも、なぜアインシュタインはあんな顔をしたのでしょうか?

■【逸話の内容】

1951年3月14日、アインシュタインの72歳の誕生日。写真家アーサー・サスが「笑ってください」と言ったとき、アインシュタインは突然ベーっと舌を出したんです。

■【意図は皮肉だった!?】

😜 「記者にうんざりしてたから」と本人談!

アインシュタインはこの日、何十人もの記者に囲まれ、「いい加減にしてくれ」という気分だったとか。だから、最後のシャッターの瞬間に“舌を出して抗議”の意味を込めたそう。

ところがこの写真、世界中で話題になり、彼自身も「これは気に入った!」と絶賛。ポストカードにして知人に配るほどお気に入りだったそうです。


💡 豆知識:アインシュタインのIQは測定不能!?
IQに関する公式記録はありませんが、研究者の推定では160〜190とも。



第3選:「放射線の発見」は偶然から生まれた

科学史の中でも最も“偶然”に左右された発見のひとつが、放射線です。

■【逸話の内容】

1896年、フランスの物理学者アンリ・ベクレルは、蛍光物質とX線の関係を調べていました。ある日、実験用のウランを写真乾板と一緒に引き出しに入れたままにしていたところ…

なんと、何の光も当てていないのに写真乾板が感光していた!

■【そこからの展開がすごい】

⚡️ 「これは未知の線が出てるに違いない!」→放射線の発見へ!

この現象を不思議に思ったベクレルは、ウランが**「目に見えない何かを出している」ことに気付きます。これこそが放射線(ベータ線、アルファ線、ガンマ線など)の発見のきっかけとなり、後のキュリー夫妻の研究**へとつながるのです。


📌 POINT:偶然の発見は科学の醍醐味!
ベクレルのように、意図せず得られたデータが後の大発見につながるケースは珍しくありません。


第4選:「DNAはA型?」世界初の遺伝子構造モデルにまつわる失敗談

DNAの二重らせん構造といえば、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックの名前が浮かびますよね。

でも、実は彼らは“とんでもない間違い”をやらかしていたんです。

■【逸話の内容】

1953年、ワトソンとクリックはDNAの立体構造を発表し、ノーベル賞を受賞しました。でもそれ以前、彼らは…

💥 「DNAは3重らせんだ!」という“誤ったモデル”を堂々と提案していたのです。

そのモデルは水素結合も無視し、分子間の距離も不自然で、当時の他の研究者からは冷笑されたとか。

■【何が成功のカギだった?】

最大の要因は、ロザリンド・フランクリンのX線回折画像(通称:写真51)でした。これがなければ、正確な構造にはたどりつけなかったという説も。


🔬 科学は失敗と挑戦の連続!
最初に間違えることは恥じゃない。修正し、粘り強く探究することこそ科学の本質です。



第5選:マリー・キュリーはノーベル賞を2回受賞しても不遇だった?

マリー・キュリー=ノーベル賞×2の超偉人。でも、彼女の人生は決して順風満帆ではありませんでした。

■【逸話の内容】

1903年、放射能の研究でノーベル物理学賞を受賞。しかしこの時、審査員たちは「夫ピエールの貢献だけを称えよう」としていたのです。

😠 当時は“女性にノーベル賞はふさわしくない”という空気が強かった

ピエールが抗議し、ようやくマリーの名前が加えられたのです。

さらに、1911年に化学賞を受賞したときは、フランス国内で不倫スキャンダルに巻き込まれ、メディアから激しいバッシングを受けました。

■【それでも科学に向き合った】

💡 「私は科学に人生を捧げる」——彼女は決してブレなかった

困難に立ち向かいながらも、マリー・キュリーは科学者としての姿勢を貫き通しました。その生き様こそ、多くの人に勇気を与えているのです。


📌 POINT:ノーベル賞を2回受けた唯一の女性!
・1903年 物理学賞(放射能の研究)
・1911年 化学賞(ラジウム・ポロニウムの分離)


【まとめ】科学の逸話には「人間ドラマ」がある

今回ご紹介した5つの逸話から分かるように、科学の裏側には、失敗・偶然・感情・誤解など、人間くさいドラマがたくさんあります。


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